日本の麦酒業界の繁栄に貢献し、戦後の経済復興に通産大臣として大きな業績を残した高橋龍太郎翁を育てた屋敷。その父、内子聖人と呼ばれた高橋吉衡翁の生家でもあります。龍太郎翁の長男である高橋吉隆氏(元アサヒビール株式会社会長)が、郷土である内子町への思いを寄せていたことから、その遺族によって高橋邸は町へ寄贈されました。高橋家ゆかりの人たちが愛用したパイプやオーナーを務めたプロ野球チーム「高橋ユニオンズ」のユニフォームなどを展示。喫茶コーナーを設けて、寛げるスペースとして開放。また、一日一組限定(10名まで)で宿泊が可能となっています。
明治8年(1875)7月に内子町で生まれました。旧制松山中学校、第三高等学校(現京都大学)に学び、大阪麦酒株式会社(アサヒビール株式会社の前身)に入社。ビールの本場ミュンヘンに留学し、醸造学を学びました。帰国後、ビールの国産化に成功。ビール産業隆盛の基礎を築いたとして「ビール王」と呼ばれました。その後、日本商工会議所会頭を歴任し、吉田内閣の通産大臣を務めるなど日本経済の復興に尽くすなど多くの功績を残しました。さらに、スポーツを愛好し、日本サッカー協会会長、プロ野球球団「高橋ユニオンズ」のオーナーなどを務められました。
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